平和記念公園

平和記念公園

レストハウス

現在爆心地から最も近い現役使用されている被爆建物であり、特に原爆被災の中心となった中島地区でほぼ唯一残った戦前からの建造物とされ、旧中島町を説明する看板が付近に立っている。鉄筋コンクリート造で地上3階地下1階建。現在修理中。f:id:Ryugnan:20191221164129j:plain

 

原爆の子の像

佐々木禎子さん(当時12歳)の死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に1958年に作られた慰霊碑。f:id:Ryugnan:20191221164031j:plain

 

その後、この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽にものぼる。三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、左右には明るい未来と希望を象徴する少年少女の像がある。f:id:Ryugnan:20191221165912j:plain

 

平和の鐘

 

1964年(昭和39年)920日、原爆被災者広島悲願結晶の会の手によって建立された。鐘の表面には「世界は一つ」を象徴する国境のない世界地図が浮き彫りにされている。f:id:Ryugnan:20191221170209j:plain

撞座は、原水爆禁止の思いを込めて原子力マークにし、その反対側には、つく人の己の心を写し出す鏡が入れられている。1996年(平成8年)には環境庁(当時)の残したい日本の音百選にも選ばれた。f:id:Ryugnan:20191221170636j:plain

 

原爆死没者慰霊碑広島平和都市記念碑

 

世界最初の原子爆弾が落とされた広島。壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して1952年に建てられて慰霊碑。f:id:Ryugnan:20191221171606j:plain

 

東京大学助教授(当時)丹下健三が設計したもので、原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいという気持ちから、屋根の部分がはにわの家型になった。f:id:Ryugnan:20191221171624j:plain

 

碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という碑文が刻まれている。中央の石室には国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者の名前を記帳した原爆死没者名簿が納められている。f:id:Ryugnan:20191221171642j:plain

 

 

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、国として、原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、永遠の平和を祈念するとともに、原爆の惨禍に関する全世界の人々の理解を深め、被爆体験を後代に継承することを目的として、20028月に開館した。館内には、平和祈念・死没者追悼空間があり、爆心地である「島病院」付近からみた被爆後の街並みをパノラマで表現している。f:id:Ryugnan:20191221171701j:plain

f:id:Ryugnan:20191221171726j:plain

 

広島平和記念資料館

 

広島平和記念資料館は、原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に、1955年(昭和30年)に開館した。平和記念資料館は、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介している。また、被爆者による被爆体験講話会などを実施するほか、平和学習のための資料の貸出しも行っている。

f:id:Ryugnan:20191221171548j:plain

f:id:Ryugnan:20191221172350j:plain