乃木神社・2020年5月28日

乃木神社

港区赤坂八丁目にある神社。乃木希典将軍と乃木静子夫人を祀る。乃木夫妻が明治天皇大葬の日に自刃した邸宅の隣地である。旧社格は府社。現在は神社本庁別表神社。 

明治45年(1912年)7月30日に明治天皇崩御された。御大葬の日と決まった大正元年9月13日。祭神である乃木希典将軍と乃木静子夫人が先帝に殉じて自刃を遂げられた。 乃木夫妻の忠誠心に感激した国民が次々と乃木邸を訪れ、その数は日増しに増えていった。そして、御夫妻の葬儀と同時に、当時幽霊坂と呼ばれていた坂の名前が“乃木坂”と改められた。f:id:Ryugnan:20200529152451j:plain

 

大正2年(1913年)、東京市長だった阪谷芳郎が中心となって中央乃木会を設立し、乃木邸内の小社に乃木夫妻の御霊をお祀りした。そして大正8年(1919年)には乃木神社創建の許可が下り、大正12年(1923年)11月1日に鎮座祭が行われた。設計は大江新太郎が手がけた。昭和20年5月の東京大空襲で焼失したが、戦後全国の崇敬者の篤志により、昭和37年(1962年)9月13日、ご祭神50年祭に併せて本殿・幣殿・拝殿が復興された。なお、このときの設計は、新太郎の息子・大江宏が手がけた。昭和58年(1983年)には宏の長男・大江新と三男・昭によるコンクリート造の宝物殿が建てられた。f:id:Ryugnan:20200529152508j:plain

 

一之鳥居。f:id:Ryugnan:20200529152435j:plain

 

 

手水舎 

手水舎は令和元年(2019年)、御鎮座百年奉祝事業で移設。水盤は以前のものをそのまま再利用している。f:id:Ryugnan:20200529152418j:plain

 

二之鳥居 

これも奉祝記念事業で移設された。f:id:Ryugnan:20200529151340j:plain

 

社殿

昭和37年(1962年)に現在の社殿が再建された。f:id:Ryugnan:20200529151358j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151416j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151433j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151451j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151544j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151712j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151730j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151838j:plain

 

正松神社

社殿の右手に境内社・正松神社。昭和38年(1963年)に建立された境内社

乃木が師事した松下村塾創立者玉木文之進と、その甥の吉田松陰を祀る。f:id:Ryugnan:20200529151602j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151619j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151655j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151637j:plain

 

赤坂王子稲荷神社。

乃木夫妻が篤く崇敬した「王子稲荷神社」から勧請された境内社。昭和37年(1962年)に「王子稲荷神社」から勧請され創建。f:id:Ryugnan:20200529151854j:plain

 

f:id:Ryugnan:20200529151913j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151932j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151949j:plain

f:id:Ryugnan:20200529152004j:plain

 

宝物殿

昭和58年(1983年)に造営された建物。乃木夫婦ゆかりの品が数多く展示。殉死の際に使用された刀、勲章や写真など数多くの展示がされている。f:id:Ryugnan:20200529151508j:plain

 

教育の碑

明治41年1月に乃木将軍が学習院院長に任命された際、生徒心得のために明治天皇から賜った御製(和歌)で、将軍のような国家に尽くした立派な人間を学習院院長にして、国の将来を担う大切な子供の教育に当たらせたいという明治天皇の大御心がこめられている。f:id:Ryugnan:20200529151746j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151823j:plain

 

楷樹(楷の木)
楷の木はウルシ科の雌雄をもつ落葉喬木で中国孔子の墓に植えられていることから日本では「孔子木」とも呼ばれている。神社境内にある楷は、大正4年(1915年)に農商務省林業試験場の初代所長であった白沢保美博士が孔子墓上より種を持ち帰り育成された由緒正しい系統のもので、当神社には大正15年(1926年)5月に林学博士中村弥六氏により奉納植樹されたと伝えられている。f:id:Ryugnan:20200529152113j:plain

 

旧乃木邸

乃木将軍は明治12年この赤坂の地に移ったが、母屋の老朽化が甚だしくなり、明治35年に改築(ほぼ新築)されたのが現存する建物。ドイツ留学の折に視察したフランス陸軍の兵舎をスケッチしたものをもとに自ら設計した。質素且つ強固にして極めて合理的に作られ、階段下や屋根裏など余すところなく利用されている。f:id:Ryugnan:20200529150103j:plain

f:id:Ryugnan:20200529150154j:plain

f:id:Ryugnan:20200529150356j:plain

f:id:Ryugnan:20200529150413j:plain

f:id:Ryugnan:20200529150444j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151122j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151215j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151323j:plain


乃木家祖霊舎

乃木将軍ご生前には、大神宮殿と、祖先の霊を祀る家廟があり、これらを篤く祀っていた。この2つの神殿は、遺言に基づき、浄火で焼き、その後にご祭神が所持していた中野の家にあった社殿を移築したもの。この社内に乃木家祖先と将軍ご夫妻の御霊をお祀りし、乃木小社とし乃木神社御創建まではここで祭儀が齋行されていた。現在は乃木家祖霊舎と称して乃木家祖先と勝典・保典、両御令息の御霊を祀っている。f:id:Ryugnan:20200529151231j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151307j:plain

 

 

明治26年1893年)に現存の母屋改築より先に建築されたもので、母屋が木造であるのに対し、この厩は英国より取り寄せたレンガで作られている。ステッセル将軍から贈られた壽(ス)号もここで過ごした。f:id:Ryugnan:20200529151034j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151106j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151050j:plain


水師営の会見の「なつめの木」

日露戦争水師営の会見の際、乃木の副官である兼松が記念に持ち帰ったナツメ樹の3代目。今も庭に青々とした葉を茂らせている。f:id:Ryugnan:20200529150301j:plain

f:id:Ryugnan:20200529150319j:plain

 

辻占売り少年の銅像

明治24年、乃木将軍が金沢を訪れたとき偶然 当時8歳の辻占売りの少年に出会った。この少年が辻占売りをしながら一家の生計を支えていることを聞き、感銘を受けた将軍は少年を励まし、金二円を渡した。少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね金箔業の世界で大きな実績を積み上げた。 この銅像は将軍の人となりを伝えるものとして昭和43年に造立されたもの。f:id:Ryugnan:20200529150504j:plain

f:id:Ryugnan:20200529150524j:plain

 

 

月桂樹f:id:Ryugnan:20200529151142j:plain

f:id:Ryugnan:20200529151157j:plain

 

 

 

 

煙突f:id:Ryugnan:20200529150337j:plain