富岡八幡宮・2020年7月26日

富岡八幡宮

 

江東区富岡にある八幡神社。通称を「深川八幡宮」ともいう。江戸最大の八幡宮で、8月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つ。また江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されている。

主祭神 応神天皇八幡神)、相殿神 神功皇后仁徳天皇、天照皇大神常磐社神、武内宿祢命、日本武尊天児屋根命、竈大神f:id:Ryugnan:20200727155252j:plain

 

1627年(寛永4年)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時永代島にと呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされる。当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。また八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であったという。なお長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立している。f:id:Ryugnan:20200727155315j:plain

 

当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。明治維新後の社格は、准勅祭社とされ、同制度の廃止後は記載がない府社とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。永代寺については、神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭吉祥院が名前を引き継いだものである。1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により焼失。同年3月18日に、空襲罹災地巡幸のため、昭和天皇が境内を訪れた。その後、第18代宮司の富岡盛彦は再建に努め、1956年(昭和31年)に現在の社殿が造営される。盛彦は後に神社本庁の事務総長にもなり、神道の復興に努めた。f:id:Ryugnan:20200727161433j:plain

 

鳥居f:id:Ryugnan:20200727155332j:plain

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参道f:id:Ryugnan:20200727160118j:plain

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社殿

社殿は、1683年(天和3年)に焼失し、元禄16年には地震により損壊し、1923年(大正12年)の関東大震災でも損壊し、さらに空襲でも被害を受けるなどし、再建や修復を繰り返した。現在の社殿は1956年(昭和31年)に造営され、鉄筋コンクリートを使用した、「重層型準八幡造り」となっている。

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永昌五社稲荷神社f:id:Ryugnan:20200727161002j:plain

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末社f:id:Ryugnan:20200727161119j:plain

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弁天池

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七渡神社・粟島神社

七渡神社は七渡弁天と親しまれる地主神で八幡宮が創祀される以前から祀られている。f:id:Ryugnan:20200727161159j:plain

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境内社鳥居f:id:Ryugnan:20200727161450j:plain

 

鹿島神社大鳥神社f:id:Ryugnan:20200727161508j:plain

 

恵比須社・大黒社

恵比須社は深川七福神の恵比須さまである。f:id:Ryugnan:20200727161523j:plain

 

富士浅間社・金刀比羅社f:id:Ryugnan:20200727161541j:plain

 

昭和天皇の記念碑

社殿が空襲を受けた後の1945年(昭和20年)3月18日、被災地を視察した昭和天皇侍従長・藤田尚徳に「今度の場合は、はるかに無残な感じだ。コンクリートの残骸などが残っているし、一段と胸が痛む。悲惨だね。侍従長! これで東京もとうとう焦土になったね」と語ったことを記念したものである。f:id:Ryugnan:20200727155751j:plain

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行幸啓記念碑f:id:Ryugnan:20200727155415j:plain

 

伊能忠敬銅像

江戸時代の測量家である伊能忠敬は、当時深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年(平成13年)に当社境内に銅像が建立された。f:id:Ryugnan:20200727155546j:plain

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力持碑

東京都指定無形民俗文化財及び江東区登録無形民俗文化財となっている民俗芸能「深川の力持」を記念した石碑。f:id:Ryugnan:20200727160525j:plain

 

木場の角乗

東京都指定無形民俗文化財及び江東区登録無形民俗文化財となっている民俗芸能「木場の角乗」を記念した石碑。f:id:Ryugnan:20200727161416j:plain

 

大関力士碑

表参道大鳥居をくぐってすぐ右手には、歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がある。この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から最近では小錦関、霧島関まで、104人の歴代大関四股名が彫り込まれている。また、その傍らには巨人力士碑、巨人力士手形足形碑、強豪関脇碑、釈迦ヶ嶽等身碑等一群の顕彰碑が立ち並んでおり、横綱力士碑とあわせて、相撲名所として相撲ファンに親しまれている。f:id:Ryugnan:20200727155434j:plain

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横綱力士碑

明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が建立された。この碑には初代明石志賀之助から67代武蔵丸関までの四股名が刻まれているが、その大きさは高さ3.5メートル、幅3メートル、重量は20トンに及び、横綱を顕彰するにふさわしい堂々たる石碑。新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが奉納される。また両側には伊藤博文山県有朋大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っている。f:id:Ryugnan:20200727160827j:plain

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神輿庫f:id:Ryugnan:20200727155655j:plain

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富岡宮司寿像f:id:Ryugnan:20200727161322j:plain