東大寺(世界遺産)

東大寺

 

 奈良の大仏として知られている盧舎那仏が大仏殿に収められていることで知られる東大寺は、正式名称は金光明四天王護国之寺とされており、全国の国分寺の中心である「総国分寺」であった。 f:id:Ryugnan:20191006161148j:plain

 

 8世紀前半には、東大寺の前身の寺院が創建されていた。聖武天皇は、741年(天平13年)に国分寺国分尼寺建立の詔を発令し、743年(天平15年)には大仏建立の詔勅を発した。この背景には、仏の恩恵を民に広め、社会・政治不安を取り除きたいという考えがあった。749年(天平勝宝元年)に完成し、752年(天平勝宝元年)に開眼供養の法会が施行された。 奈良時代の寺院は、複数の宗派を学ぶのが一般的であった。東大寺も例外ではなく、南都六宗華厳宗法相宗律宗三論宗成実宗倶舎宗)と真言宗天台宗の八宗兼学の寺とされた。 f:id:Ryugnan:20191006161901j:plain

 

 しかし、1180年(治承4年)、平重衡によって焼き討ちを受け、大仏殿が焼失してしまった。その後、重源上人を中心とした復興事業が始まり、1185年(治承9年)に大仏開眼供養が行われた。 ところが、1567年(永禄10年)、三好・松永の戦いにより、大仏殿を含む主要な堂塔が焼失してしまった。その後、江戸幕府の援助、ひいては一般の人々の寄進により、1709年(宝栄6年)大仏殿が完成した。 f:id:Ryugnan:20191006161840j:plain

南大門(国宝)

 創建時の門は平安時代に倒壊してしまい、現在の物は鎌倉時代に重源が再建した。大仏様という宋の建築様式が取り入れられており、内門には左右に金剛力士像が配置されている。f:id:Ryugnan:20191006161205j:plain

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中門f:id:Ryugnan:20191006161242j:plain

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大仏殿(国宝)f:id:Ryugnan:20191006161327j:plain

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奈良の大仏東大寺盧舎那仏像)(国宝)

 本尊は盧舎那仏で、高さは約14.7mあり、基壇の周囲は70mある。大仏殿の高さは約49.1m、正面の幅は57.5m、奥行きは50.5m。

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法華堂(三月堂)(国宝)

 東大寺において、現存する数少ない奈良時代の建築物。東大寺の前身寺院のお堂として建てられ、当時の名前は羂索堂(けんさくどう)といった。f:id:Ryugnan:20191006161924j:plain

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二月堂(国宝)

 現在のものは、1669年に再建されたもの。本尊は大観音と小観音で、十一面観音像。この二観音は、誰も見ることができない絶対秘仏となっている。 ここでは、修二会、別名「お水取り」という儀式が行われる。これが旧暦2月に行われるため、二月堂という名がついた。人々に代わって僧たちが罪を懺悔し、平和と豊作を祈る。752年の開山以来、一度も途絶えたことがない。 f:id:Ryugnan:20191006162005j:plain

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戒壇

 755年(勝宝7年)、鑑真を招き創建された。出家するものが戒律を授けられる場所。f:id:Ryugnan:20191006162242j:plain