平城京跡(世界遺産)

平城京

 

 平城宮平城京大内裏で、平城京の北端に置かれた。天皇が住む内廷、儀式の場である朝堂院、役人たちが働く外朝があり、四方には高さ5mの塀が作られ、朱雀門をはじめとする12の門があった。

 710年(和銅3年)に平城京遷都が行われ、平城宮も建設された。しかし784年(延暦3年)に都が長岡京に移ると、徐々に忘れ去られてしまった。809年(大同4年)に平城上皇平城宮を居住地としてはいたが、しだいに荒れ、農地となってしまった。f:id:Ryugnan:20191006164100j:plain

 

 しかし、1852年(嘉永5年)、藤堂藩の北浦定政が「平城宮跡大内裏跡坪割之図」を著し、平城宮の大きさが判明する。明治時代になると、関野貞大極殿跡を発見し、これがきっかけとなって、棚田嘉十郎や溝辺文四郎が平城宮跡の保存運動を展開し、国の史跡となった。

 現在は、整備計画にもとづいて建造物の復元などが進められている。1998年には朱雀門と東院庭園が、2010年には第一次大極殿が復元された。資料館などでは、出土物や遺構を見ることができる。

 平城宮跡で復元されているのは、 朱雀門、東院庭園、第一次大極殿、第二次大極殿跡 のみ。

 

朱雀門f:id:Ryugnan:20191006164120j:plain

 

だだっぴろい。f:id:Ryugnan:20191006164144j:plain

 

敷地の中を電車が走っている。f:id:Ryugnan:20191006164207j:plain

 

南門

復元している。f:id:Ryugnan:20191006164229j:plain

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まだまだ広い。f:id:Ryugnan:20191006164316j:plain

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第一次大極殿f:id:Ryugnan:20191006164822j:plain

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