寛永寺・2020年4月29日

寛永寺

寛永2(1625)年に建立された。山号は東叡山。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。

後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになった。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となった。f:id:Ryugnan:20200429161057j:plain

 

堂塔は延暦寺の様式に準じて造営された。寛永4年(1627年)には法華堂、常行堂、多宝塔、輪蔵、東照宮などが、寛永8年(1631年)には清水観音堂、五重塔などが建立されたが、これらの堂宇の大部分は幕末の上野戦争で失われた。このようにして徐々に伽藍の整備が進んだが、寺の中心になる堂である根本中堂が落慶したのは開創から70年以上経った元禄11年(1698年)、5代将軍徳川綱吉の時である。根本中堂は元禄10年7月1日に柳沢吉保が惣奉行を拝命したことにより開始され、元禄11年8月11日に上棟式が行われ落成した。f:id:Ryugnan:20200429161115j:plain

 

慶応4年(1868年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。明治維新後、境内地は没収され、輪王寺宮は還俗、明治6年1873年)には旧境内地が公園用地に指定されるなどして寺は廃止状態に追い込まれるが、明治8年(1875年)に再発足。江戸時代の境内地だった場所は上野公園や上野駅の用地となり大きく変貌していたが子院の1つの大慈院があった場所に川越の喜多院の本地堂を移築して本堂(中堂)とし復興の途についた。f:id:Ryugnan:20200429161156j:plain

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本堂(根本中堂)

元禄11年(1698年)、現上野公園内大噴水の地に建立された根本中堂は、慶応4年(1868年)彰義隊の戦争の際に焼失してしまった。現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に、明治12年(1879年)、川越喜多院の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではない。内陣には厨子内に秘仏本尊薬師三尊像を安置する。f:id:Ryugnan:20200429161504j:plain

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徳川家霊廟

厳有院(4代家綱)と常憲院(5代綱吉)の霊廟があったが、1945年(昭和20年)、大部分が空襲で焼失。f:id:Ryugnan:20200429162807j:plain

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両大師(開山堂) 

開山堂は、東叡山の開山である慈眼大師天海大僧正を祀っているお堂。天海僧正が尊崇していた慈惠大師良源大僧正もお祀りしているところから、一般に〝両大師〟と呼ばれ、庶民に信仰されてきた。初建は正保元年(1644)。現在のお堂は平成5年に再建されたもの。f:id:Ryugnan:20200429164232j:plain

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幸田露伴旧宅の門f:id:Ryugnan:20200429164908j:plain

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旧本坊表門   

通称黒門。東京国立博物館東側の輪王寺にある。寛永年間の建造物で、もとは、現在の東京国立博物館正門の位置にあった。寛永寺の本坊は、慶応4年の彰義隊の戦争により焼失し、現在はその表門だけが往時の姿を留めている。f:id:Ryugnan:20200429164949j:plain

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戦争の跡。f:id:Ryugnan:20200429165111j:plain

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水観音堂等がある公園西側に向かう。途中にある世界遺産国立西洋美術館f:id:Ryugnan:20200429165252j:plain

 

水観音堂     

寛永8(1631)年に、天海によって建立された。比叡山や京都の有名寺院になぞらえた堂舎を次々と建立したが、清水観音堂は京都の清水寺を見立てたお堂。京都の清水寺の義乗院春海上人から、同寺安置の千手観世音菩薩像が天海に奉納されたことにちなみ、清水寺と同じ舞台作りで、初めは「摺鉢山」に建てられた。しかし元禄初期、寛永寺総本堂の根本中堂建設が決まると、その工事に伴って元禄7(1694)年9月に現在地に移築された。上野の山に現存する、創建年時の明確な最古の建造物。f:id:Ryugnan:20200429170723j:plain

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不忍池弁天堂  

不忍池弁天島に天海が琵琶湖の竹生島宝厳寺弁才天を勧請して建立。島は常陸下館藩主水谷勝隆が築いたもので当初は橋がなく、舟で参詣していた。当初の建物は入母屋造であったが昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失し、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造の八角堂として再建された。

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大黒天  

弁天堂には、谷中七福神とは別に「大黒天」が祀られている。この大黒さまは豊臣秀吉公が大切にしていたという伝説があり、幕末の戦争や太平洋戦争といった難を免れ、今日に伝わっている。大黒天は福を授ける神・福を招く神として知られ、家門繁栄や富貴をもたらすといったご利益がある。f:id:Ryugnan:20200429172456j:plain

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不忍池f:id:Ryugnan:20200429171942j:plain

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寛永寺五重塔

寛永8年(1631年)建立の初代の塔が寛永16年(1639年)に焼失した後、同年、下総・古河城主土井利勝によって再建された。塔は旧境内地を使って作られた恩賜上野動物園の園内に位置しており、1958年に寛永寺が東京都に寄付したため、現在の所有者は東京都になっている(名称に「旧」とつくのはそのため)。塔の初重に安置されていた釈迦如来薬師如来弥勒菩薩阿弥陀如来の四仏は、東京国立博物館に寄託されている。f:id:Ryugnan:20200429173340j:plain

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上野大仏(パゴダ)

寛永8年(1631年)に初建された上野の大仏は度々罹災したが、その都度復興されていた。しかし関東大震災により首が落ち、第二次大戦時には軍の供出令により胴体を徴用されて、顔のみが残された。f:id:Ryugnan:20200429175125j:plain

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大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が昭和42年(1967年)に建立。本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られている。f:id:Ryugnan:20200429175147j:plain

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時鐘堂

寛文9年(1669年)に設けられたこの鐘は、現在も正午と朝夕6時の計3回、毎日時を告げている。現在の鐘は天明7年(1787年)に改鋳されたもの。f:id:Ryugnan:20200429175403j:plain

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上野東照宮

三大東照宮を自称してはいないが、その豪華さや、隣の芝東照宮が「日光東照宮久能山東照宮上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としていることから三大(もしくは四大)東照宮の一つに数えられることが多い。正式名称は東照宮であるが他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、別名「三処権現」とも呼ばれる。f:id:Ryugnan:20200429174009j:plain

 

徳川家康東照大権現)・徳川吉宗徳川慶喜を祀る。(なお、御朱印には創建当初の御祭神「東照神君天海僧正藤堂高虎」の文字が見受けられる)。社伝によれば、元和2年(1616年)2月4日、天海僧正藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、3人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言した。天海僧正藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立された。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まり。 1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となった。f:id:Ryugnan:20200429173928j:plain

 

現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたもの。この造営替えに際し約250基の灯籠が全国の大名から競うように奉納された。 幕末には寛永寺の伽藍や子院の多くが消失する上野戦争が勃発したが、上野東照宮には火の手が及ばなかった。関東大震災にも倒れず、第二次世界大戦では社殿のすぐ裏に爆弾が投下されましたが不発弾で社殿の倒壊は免れた。 明治時代には神仏分離令の為境内の五重塔寛永寺に譲渡(現在は東京都の管理)するなど、江戸時代と比べ境内地は縮小されたが、江戸初期に建立された社殿が数々の困難を乗り越え現存することは奇跡的である。f:id:Ryugnan:20200429174156j:plain

 

唐門

1651年(慶安4年)造営。正式名称は唐破風造り四脚門。柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説がある。f:id:Ryugnan:20200429174311j:plain

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銅灯籠

全48基。諸大名から奉納された。唐門両側の6基は、内側より紀伊・水戸・尾張徳川御三家より2基ずつ寄進されたもの。f:id:Ryugnan:20200429174728j:plain

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大石鳥居

1633年(寛永10年)酒井忠世奉納。石材には備前御影石が使用されている。関東大震災の折にも少しも傾かなかったほど工事が頑丈だったと当時大変驚かれたとのこと。

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不忍口鳥居

1873年明治6年江戸城内紅葉山東照宮より移築された。石材は御影石f:id:Ryugnan:20200429172622j:plain

 

石灯籠

200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年1651年(慶安4年)に諸大名より奉納されたもの。f:id:Ryugnan:20200429174943j:plain

 

楽殿

1874年(明治7年)、深川木場組合奉納。屋根の勾配の美しさは都下随一といわれている。毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われる。f:id:Ryugnan:20200429174038j:plain

  

水舎門f:id:Ryugnan:20200429175001j:plain

 

参拝を終えて、食事に向かう。f:id:Ryugnan:20200429175632j:plain

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上野藪そばに行ったが、コロナで休業中だった。f:id:Ryugnan:20200429175716j:plain