出雲大社(国宝)・2020年10月31日

出雲大社

 

島根県出雲市大社町杵築東にある神社。祭神は大国主大神式内社名神大)、出雲国一宮で旧社格官幣大社神社本庁別表神社。宗教法人出雲大社教の宗祠。

二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。古代より杵築大社と呼ばれていたが、1871年明治4年)に出雲大社と改称した。f:id:Ryugnan:20201103143328j:plain


出雲大社はいわゆる国譲りの事情のもとで創建された。867年(貞観9年)には正二位に叙せられ熊野大社とは別に出雲国一宮と称せられるようになった。中世には12郷7浦を領したが、豊臣秀吉により減じられ5郷2浦となった。1871年明治4年)に官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。f:id:Ryugnan:20201103140609j:plain

 

伝承の内容や大社の呼び名は様々である。共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。f:id:Ryugnan:20201103141011j:plain

 

創建以来、天照大御神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきたとされるが、本来出雲国造家は東出雲の熊野大社の社家であった。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後に太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任。翌年、神社本庁より神職身分特級を拝受している。また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく、黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。f:id:Ryugnan:20201103142903j:plain

 

宇迦橋の大鳥居f:id:Ryugnan:20201103135039j:plain

 

勢溜の大鳥居f:id:Ryugnan:20201103135149j:plain

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祓社f:id:Ryugnan:20201103140628j:plain

 

鉄の鳥居f:id:Ryugnan:20201103140649j:plain

 

松の参道f:id:Ryugnan:20201103140757j:plain

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ムスビの御神像f:id:Ryugnan:20201103140825j:plain

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銅鳥居

1666年(寛文6年)の長州藩第3代藩主毛利綱広の寄進。f:id:Ryugnan:20201103140931j:plain

 


拝殿
室町時代の1519年(永正16年)に尼子経久が造営。名工の坪井大隅守が華、青龍、松竹梅などで豪華絢爛に仕上げ、高く評価されていた。1953年(昭和28年)5月27日午前1時頃、本殿が72年ぶりの正遷宮奉祝期間中に鑽火殿から出火、拝殿まで類焼し、姿は消えてしまった。日本全国の崇敬者から寄付金1億円を集めて、復興事業が行われた。高松宮宣仁親王を総裁として、設計を担当したのは神社建築学の福山敏男博士で、1959年(昭和34年)に完成した。f:id:Ryugnan:20201103140953j:plain

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八足門f:id:Ryugnan:20201103142430j:plain

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観察楼f:id:Ryugnan:20201103142414j:plain

 

本殿(国宝)
社殿群を北東より望む。高い建物は本殿。手前の切妻造社殿は向かって左が摂社神魂伊能知比売神社本殿、右が摂社大神大后神社本殿。玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている。本殿内北西には御客座五神(天之御中主神高御産巣日神神産巣日神宇摩志阿斯訶備比古遅神天之常立神)が祀られている。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている。これは本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられる。天井には7つの雲の絵が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさである。f:id:Ryugnan:20201103141147j:plain

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楽殿
拝殿の西側、荒垣外に位置する神楽殿は1879年(明治12年)の出雲大社教創始の際に、本殿とは別に大国主大神を祀ったことに由来する。正面破風下に張られた長さ13m、周囲9m、重さ5tの大注連縄は日本トップクラスである。神楽殿では婚礼なども執り行われている。f:id:Ryugnan:20201103142533j:plain

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御慈愛の御神像f:id:Ryugnan:20201103142651j:plain

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